2010年04月30日
どちらも欲しいです
O君、久々に話ができて楽しかったです
先日、夜10時半頃、事務所で仕事をしていると、
以前札幌で講義を受けてくれたO君からのメール。
久しくお話をしていなかったので、懐かしくて、
そのまま電話してしまいました。
彼は、現在、ロースクール生。
壁にぶつかりながらも、頑張っている様子。
ずいぶん会っていないし、久しく話もしていなかった
のですが。
不思議なもので、声を聞いた瞬間に、昔に戻ってしまう。
久しぶりの居心地の悪さ、といったものは
かけらもありません。
今目の前に彼がいるかのように、楽しいひとときを
過ごさせてもらいました。
O君、ご連絡ありがとうございます。
またお話しましょう。
札幌は、以前、月1回伺って講座を担当していたので、
当時の受講生さん、というより、友人、飲み友達(?)の
方々がいます。
イニシャルは同じですが、同じく札幌のOさん、
これをご覧になっていたら、電話でもメールでもくださいね。
ところで。
前述のO君が、たまに私がここに書かせて頂く
本の話を楽しみにしてくれているとのことでしたので、
ときどき、書かせて頂こうと思います。
毎日2冊ずつくらいのペースで読んでいますので、
気に入ったものがあったらご紹介しますね。
今日の1冊は
ということで、今日の1冊ですが、まだ4分の3くらいの
ところなのですが、
辰濃和男さんの「ぼんやりの時間」(岩波新書)。
新聞記者でいらっしゃた辰濃さんが、「ぼんやりを楽しむ」という
ことについて書いていらっしゃいます。
「ぼんやりする時間」、私も大好きですし、大切に
しています。
弁護士として、予備校やビジネススクールの講師として、
やるべきことはたくさんあるのですが、そこでテキパキと
しごとをしている自分も大好きですし、
一方で休みに車をとばして地方に出かけて、そこで
あくせく動くのではなく、ぼーっと景色を眺めるのも
好きです。
去年は春日山城跡に行って、上杉景勝や直江兼続になった
気分で、ぼーっとかつての城下を眺めていたり、
といったこともありました(龍馬も、もちろん、好きですが。)
「ぼんやりする時間」は身近にも見つけられますね。
ちょっとした空き時間に博物館や美術館にいって、
ぼーっとその世界にのめり込んだり。
長谷川等柏展は良かったです。
忙しくさまざまなことをこなして行く時間、
ぼんやりとする時間、
どちらも自分にとっては大切な時間です。
「忙しい時間」が悪いというわけではありません。
「ぼんやりとする時間」が、「忙しい時間」からの
逃げになってしまってもつまらない。
「忙しい時間」には、忙しい時間の良さがあります。
たくさんの人たちと接して、喜びに接することが出来る。
「ほんやりとする時間」にはぼんやりすることの良さが
あります。深く自分と向き合うことが出来、そしてなにより、
何もせず、その場と一体になることが出来る。
どちらも、たまらなく、好きな時間です。
辰濃さんは、「ぼんやりの時間」のまえがきで、こう書かれています。
「私たちは、心を破壊しようとする巨大なものとの闘いに勝つことが可能だろうか。
近代を享受しながら、近代に背くことが可能だろうか。生きている日々を謳歌しながら、
やがては近代を超えることが可能だろうか。それが可能だと胸を張っていいきるほど、
私は楽観主義者ではない。」
でも、今は、私は、敢えて楽観主義者でいきたいと
思います。
「忙しい時間」も「ほんやりとする時間」も、じっくり
楽しんでいきたいと思うのです。
先日、夜10時半頃、事務所で仕事をしていると、
以前札幌で講義を受けてくれたO君からのメール。
久しくお話をしていなかったので、懐かしくて、
そのまま電話してしまいました。
彼は、現在、ロースクール生。
壁にぶつかりながらも、頑張っている様子。
ずいぶん会っていないし、久しく話もしていなかった
のですが。
不思議なもので、声を聞いた瞬間に、昔に戻ってしまう。
久しぶりの居心地の悪さ、といったものは
かけらもありません。
今目の前に彼がいるかのように、楽しいひとときを
過ごさせてもらいました。
O君、ご連絡ありがとうございます。
またお話しましょう。
札幌は、以前、月1回伺って講座を担当していたので、
当時の受講生さん、というより、友人、飲み友達(?)の
方々がいます。
イニシャルは同じですが、同じく札幌のOさん、
これをご覧になっていたら、電話でもメールでもくださいね。
ところで。
前述のO君が、たまに私がここに書かせて頂く
本の話を楽しみにしてくれているとのことでしたので、
ときどき、書かせて頂こうと思います。
毎日2冊ずつくらいのペースで読んでいますので、
気に入ったものがあったらご紹介しますね。
今日の1冊は
ということで、今日の1冊ですが、まだ4分の3くらいの
ところなのですが、
辰濃和男さんの「ぼんやりの時間」(岩波新書)。
新聞記者でいらっしゃた辰濃さんが、「ぼんやりを楽しむ」という
ことについて書いていらっしゃいます。
「ぼんやりする時間」、私も大好きですし、大切に
しています。
弁護士として、予備校やビジネススクールの講師として、
やるべきことはたくさんあるのですが、そこでテキパキと
しごとをしている自分も大好きですし、
一方で休みに車をとばして地方に出かけて、そこで
あくせく動くのではなく、ぼーっと景色を眺めるのも
好きです。
去年は春日山城跡に行って、上杉景勝や直江兼続になった
気分で、ぼーっとかつての城下を眺めていたり、
といったこともありました(龍馬も、もちろん、好きですが。)
「ぼんやりする時間」は身近にも見つけられますね。
ちょっとした空き時間に博物館や美術館にいって、
ぼーっとその世界にのめり込んだり。
長谷川等柏展は良かったです。
忙しくさまざまなことをこなして行く時間、
ぼんやりとする時間、
どちらも自分にとっては大切な時間です。
「忙しい時間」が悪いというわけではありません。
「ぼんやりとする時間」が、「忙しい時間」からの
逃げになってしまってもつまらない。
「忙しい時間」には、忙しい時間の良さがあります。
たくさんの人たちと接して、喜びに接することが出来る。
「ほんやりとする時間」にはぼんやりすることの良さが
あります。深く自分と向き合うことが出来、そしてなにより、
何もせず、その場と一体になることが出来る。
どちらも、たまらなく、好きな時間です。
辰濃さんは、「ぼんやりの時間」のまえがきで、こう書かれています。
「私たちは、心を破壊しようとする巨大なものとの闘いに勝つことが可能だろうか。
近代を享受しながら、近代に背くことが可能だろうか。生きている日々を謳歌しながら、
やがては近代を超えることが可能だろうか。それが可能だと胸を張っていいきるほど、
私は楽観主義者ではない。」
でも、今は、私は、敢えて楽観主義者でいきたいと
思います。
「忙しい時間」も「ほんやりとする時間」も、じっくり
楽しんでいきたいと思うのです。
sherlock753 at 08:46│Comments(0)│





